2019年2月4日月曜日

第四回 スペイン情熱レポート「牛をめぐる冒険編」


連載 

第四回 土木的、地球の歩き方 スペイン情熱レポート(2019/02/04)




こんにちは。
12月に日本にすでに帰ってきておりますが、情熱リポートは続きます。




第四回、今回のテーマは、
「牛をめぐる冒険」



これでいきます。






第四回以降、やや内容が長くなりますので、概要を載せることにしました。






Abstract:

スペインを象徴する動物といっても過言ではない牛。そして、牛を追いかけながら、次第に発見していくことになる、スペインの大地のパワー。第四回では、この大地のパワーを存分に感じていただくとともに、第一回から第三回までで見た歴史よりも前の時代へとさかのぼり、コンスエグラ、アビラ、アンテケラの街をめぐりながら、この大地のパワーの原点を見つけに行く。










ところで、、、









スペインと言えば・・・。

















闘牛だ。

(画像提供:同研究室のイタリア人、ステファノ)

写真はマドリッドにあるラス・ベンタス闘牛場



闘牛のシーズンは10月末までとなっており、見そびれてしまったが、闘牛は牛の年齢によっても興行が分かれており、写真は3歳くらいの若い牛を対象とする闘牛興行だという。









 アンテケラという小さな街にある闘牛場




ちなみに、闘牛の起源は定かではない。

レコンキスタ時代にキリスト貴族が始めたという説がある一方で、

古代ローマ時代にローマの各地の競技場で行われていたとされる人間と動物の決闘が、
植民都市のスペインにも伝わったという説もある。









 アランフエスという小さな町にある闘牛場(どこにあるでしょう)






今でも、どんな小さな都市に行っても必ずと言っていいほどある闘牛場。




スペインでは、この闘牛が古代ローマからスペインの各都市に伝わり、連綿と引き継がれる文化になりえたのだと、個人的には理解したい。








その証拠に、牛が人々にとって身近である様子をご紹介する。





中距離電車の車窓から






この黒く見える一つ一つが牛である。


「超放牧状態」というべきか。














牛以外の家畜もいる。







こうした、自然の中での営みは、放牧だけではない。












全面に広がるオリーブ畑。










ブドウ畑もある。

奥に白く見えるものの中には、家畜の飼料となる草が入っている。







これらは、スペイン中央部、コンスエグラという村に向かう道中で見た、大地のパワーだ。










 コンスエグラの村の全景







一面が畑でおおわれた息をのむ景色だ。




無限に広がる大地の中で、農作物の生産が営まれ、牧畜も盛んにおこなわれている。
スペインは農業国だということが改めて認識される。




実際にスペインでは、野菜や果物などの一次生産品が、日本と比べて断然安い。
留学当初、あまりの安さに、将来ここで暮らそうかと思ったほどだ。







大地から生み出される恵みから垣間見たイベリア半島の磐石さ。



これこそが、スペインの底力だと思った。
















さて、

こうした自然の営みから、牛などの家畜を、信仰のモチーフにした文化が現れた。













(参考:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=738803)


Vetones(べトン族)と呼ばれる民族が残した牛の石像である。









古代ローマの植民都市時代(紀元前2世紀~紀元後3世紀)よりさらに前の時代。

紀元前6世紀から紀元前5世紀に、スペインの中央よりやや北西部の地に、Vetones(べトン族)と呼ばれる人々が暮らしていた。






紀元前5世紀から紀元前1世紀を示すイベリア半島の地図(国立考古学博物館)







この時代はイベリア半島における、青銅器時代、あるいは鉄器時代であった。
べトン族だけではなく、種々の民族がイベリア半島に住み、地中海を経て伝わってきた青銅器や鉄器を用いた、発達した農耕・牧畜文化を営んでいた。









そしてまたある意味でこの時代は、イベリア半島が初めて、種々の勢力によって色分けされた時代であるとも言えよう。




















紀元前5世紀というと、日本はまだ縄文時代であり、農業すら伝来していない(諸説あり)。


しかしスペインではすでに農業が伝わり、日本で言えば、邪馬台国みたいなクニみたいなものができてくる弥生時代から、

各地に大王(おおきみ)による地域的まとまりが出てくる古墳時代(紀元前4世紀ごろから紀元後3世紀ごろ)に相当する時代が、
すでに紀元前5世紀に現れているといえるかもしれない。











さて、このべトン族をはじめとする青銅器・鉄器時代の民族たちは、農業や牧畜で生まれた富や人口を守るため、
石垣を積み上げて作ったテリトリーを形成し暮らしていた。





紀元前3世紀ごろのべトン族らによって築かれたとされる村の模型
(国立考古学博物館)










現在、べトン族が暮らしていた地域の中心都市としてアビラという街がある。

この街の周辺でも、写真の模型に示すテリトリーが形成されたとされる。






先ほどお見せしたべトン族による牛の像は、

村を形成した人々によって作られた、繁栄の象徴でもあったのだ。









現在でも、アビラという街の周辺には、紀元前5世紀ごろに作られた牛の像が、いたるところで発見される。









写真中央部、アビラの街に鎮座する牛の像









そして、このアビラの街では、先の石垣によるテリトリーの建造が、時代を超え、巨大な城壁として進化を遂げた。






















これがアビラの城壁である。




全長2.5km、高さ約12mの、街を覆い囲む巨大な城壁。



紀元後11世紀、レコンキスタ時代にキリスト教徒がイスラム勢力より奪還した際に、平原に広がるこの地を守るために建造された城壁。

世界に残る城壁の中でも、これだけ完全な形で残る城壁は、他に例がない。




圧巻の城壁だ。










なお、この城壁からはローマの痕跡も見ることができる。








こちらがその跡である。石垣の一部に時折見える、何かの道具として彫り込んで作られた石。

キリスト勢力は、イスラム勢力駆逐後、すぐさま城壁建設に着手するため、
ローマ時代の石塀を利用したのだという。







ここで一回ブレイクタイム!
今週のマドリメシ


今回は、スペインの日本食をご紹介!



まずはROLLING SUSHI RESTAURANT(回転寿司屋)!!
















回っているのは、少し米がゆるい寿司。チーズが入っている寿司。













なんかぜんぜん違う。

しかも、寿司よりも、チキンや揚げパンもどきやらのほうが数多く回転していた。
もはや何でもあり。




人々はこれを寿司屋と勘違いするのだろうか。
















ラーメン屋もマドリードには多数存在する。



しかし、なぜかちょうちんが逆さまだ。
















アジア人が経営するある店では、日本食を謳って中華の味が提供されていた。




スペイン人からすれば日本も中国も違いが分からないようだが、
それをタネに商売するのはいかがなものか。







スペインでは、サブカルチャーなどの影響で、みんな驚くほど日本のことが大好きだ。

これは感謝すべき事実だ。




しかし、日本食や文化がやや誤解されながら受容されているのも事実だ。





これは日本文化の、浸透なのか、交流なのか、俗化なのか?

少々考えさせられる、今週のマドリメシでした。














さて、

これまで第1回からここまで、イベリア半島の歴史をたどりご紹介してきた。

紀元後16世紀の大航海時代、11世紀ごろから激化したレコンキスタ、
8世紀に始まるイスラム勢力の支配、5世紀からの西ゴート王国、
そして紀元後0年前後の古代ローマ植民都市時代。



そして今回、べトン族に代表される、紀元前2世紀以前の青銅器時代、鉄器時代。

ちなみに、金属利用が始まる時代は紀元前3000年ごろまでさかのぼり、
その先は石器時代へと続いていく。






我々日本人にとって、ローマ時代と聞くだけで、十分古い時代のように思われる。

しかしスペインでは、それよりも前の時代が、当たり前のように、
まるでボーナスステージみたいに次々と現れる。













そしてべトン族よりも前に存在した時代、










それが「巨石文化」である。





紀元前6000年前から紀元前3000年前頃に栄えたとされる巨石文化。

イギリスのストーンヘンジなどが有名であるが、この巨石文化の痕跡をスペインでも発見した。





















アンテケラという街にある、ドルメン遺跡である。



まるで古墳のようだが、あくまでこれは5000年前のものだ。紀元後500年のものとはわけが違う。





ちなみに、ドルメンとは日本語では支石墓という。

支石墓とは、巨大な天井石を、複数の巨大な石を壁や支柱で支えて作る墓のことである。








ドルメンの内部。この遺跡は2016年に世界遺産にも登録された。







この時代と時を同じくして、紀元前6500年から紀元前4500年頃、
ヨーロッパに農耕文化が普及したという。









農耕文化は人類進化上の革命といわれる。

なぜなら農耕によって人々は狩猟をやめ、ひとところに定住するようになった。

そして人口を抱えられるようになり、
都市ができ、文化ができるようになったからである。









アンテケラの街の様子。スペイン南部にある、穏やかな街







ドルメンに見られるような墓は、
こうした都市・文化形成史上、非常に重要な存在意義を有する。

人々の中に権力差があったということ、
そして祭祀や呪術的な文化が存在していることを示しているからだ。






ちなみに、なぜ人々は巨石にこだわり文化を形成したかはいまだに謎に包まれている。









しかし、ただ一ついえるのは、これまで見てきたような、イベリア半島における大航海時代にいたる繁栄への人間の営みは、ここ、ドルメンから始まったということだ。











ドルメン遺跡から見える山々。左手の岩山はかつて信仰の対象にもなった








そして日本に稲作が伝わるよりもずっと早く、
スペインでは農耕・牧畜文化が栄え、それが現在に見た、あのスペインの風景にもつながっているというわけだ。
















ウシを追いかけていたつもりが気づけば、ヒトの営みを追いかけてしまった。



しかし、

あのスペインの大地のパワーの原点を見つけられたところで、今回のレポートとさせていただく。







第四回の舞台(コンスエグラ・アビラ・アンテケラ)







次回も気長にお付き合いください!

それではまた! Hasta luego!!



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