2018年11月4日日曜日

第二回 スペイン情熱レポート「アクエドゥクト編」


連載

第二回 土木的、地球の歩き方 スペイン情熱レポート(2018/11/04)









第二回からは、マドリッドをはみ出して、様々な街の様子をリポートしていけたらと思います。





第二回のテーマは「アクエドゥクト」。これでいきます。















アクエドゥクトとは一体何なのか・・・













この謎を目撃するため、マドリッドから鈍行に乗って北西方向に山伝いに進んでいく。。











列車に揺られること約二時間。







セゴビア駅に到着する。






セゴビアはマドリード県のお隣、セゴビア県第一の都市である。







ちなみにスペインは現在1750県の地域に分かれている。
マドリッド州やナバーラ州などは一つの県のみで構成されている州もあるが、いくつかの県が州を構成し、州が国とは独立して地域を自治している。






さて、セゴビアという名前を聞いて連想してしまう人もいるかもしれないが、

とにかくこのセゴビアは、土木工学を学ぶ自分にとって、このスペイン滞在中にどうしても行きたい都市の一つであった。




早速街へと散策を始める連載第二回土木的、地球の歩き方 スペイン情熱リポート第二回からは、マドリッドをはみ出して、様々な街の様子をリポートしていけたらと思います。第二回のテーマは「アクエドゥクト」。これでいきます。アクエドゥクトとは一体何なのか・・・この謎を目撃するため、マドリッドから鈍行に乗って北西方向に山伝いに進んでいく。。

















セゴビアの街を歩いていると、その一角に、とある壁面が突如として現れる。

もう少し進む。













この壁を、上から覗くと、











どうやら溝になっているようである。

















さらに進むとこの壁面は、きれいなアーチ状の構造物に変わる。






一度はどこかで見たこと聞いたことがあるかもしれない。
























これが、セゴビアの名を世界の中で有名にしている土木構造物、「ローマの水道橋」。
スペイン名で「Acueducto Romano(アクエドゥクト・ロマーノ)」である。





セゴビアの街の中にいきなり現れる、荘厳なローマの水道橋。
高さが最大のところで約29mもあるという、この巨大構造物は、セゴビアがまだ古代ローマの植民都市であった紀元後1世紀ごろに建設され、2000年経った今でもこうして街の中心にたたずんでいる。実際にこの水道は1884年まで使われていたという。








ここでいきなり新企画。
¿ドボク学生のソボクなギモン2018?

(土木に全く興味の無い方は読み飛ばしてください。)


疑問1:そもそもなぜ、こんな大規模な水道橋が必要だったのか?



まずはセゴビア旧市街の模型を見ていただこう。セゴビアは両側をクラモレス川とエレスマ川に挟まれ、これらに浸食された小高い台地の上に立っている。まるで街全体が船であるかのような形をしている。

この優れた好条件の立地から、ローマの植民都市の一つとして急激に人口が増え、5000人の人が住んでいたという。現在も残る城壁内にこれらの人が住んでいたと仮定すると、人口密度は大阪ぐらいの規模になる。

ところがそれだけの人口を支える水をどう確保するかが課題となった。湧き水も不十分で、豊富な帯水層は地下30mの場所にあり、当時の掘削技術ではその深さの井戸を掘れなかったという。そのため、街に水を供給するため、標高約1250mの遠く離れた山脈の水源から、標高約1000mのこの地に水を導水することになった。

しかしセゴビア旧市街があるのは小高い丘の上、最後に谷をまたぐ橋が必要になった。それがこの水道橋であったというわけである。まさに必要とされて造られた、これぞ土木構造物といった感じである。その後、セゴビアの人々の誇りにもなり、セゴビアの硬貨にも必ず刻まれた。




続いて、、
疑問2 どうやってこんなものを建設したのか

この疑問に対して、3つのローマの建設凄技に注目したい。

1つ目:傾斜
15km離れた水源から、高低差約250mを運ぶ中で、最も傾斜が少ないのが、まさにこの水道橋部分である。その傾斜は0.3%であり、ローマの水道橋の上で生活したとしても健康障害が全く生じないレベルである。測量方法は現在のような水準測量を行いながら行われたが、現在のようにトータルステーションがあるわけではなく、LibellaChorobateといった木材に重りを付けた水準器や、GromaDioptraといった水平および垂直を測ることのできる水準器が用いられた。


2つ目:橋脚
 実はこの橋脚は、8段構造になっている。最下段から、幅3.6m3.3m2.9m2.7mの四段で下部が構成され、そこに幅1.9mの第一のアーチがかかる。続いて六段目に幅1.8mの橋脚が建てられ、その上に第二のアーチ、8段目の水路が乗っている(なお現在の8段目は15世紀に建造)。緻密な計算によって橋脚が設計されていることが分かる。
 どうやって石をここまで持ち上げたかについては、今でいえば人力によるクレーンであるRechamus、そこにハンドルを付けたMaius tympanum、その他リールの一種と思われるSuculaCagrestanteなどと呼ばれる道具によって持ち上げられた。ちなみに、よく石を見てみると、ぼつぼつと穴ぼこが空いているが、これはこの穴に大きなペンチの鉤をひっかけて持ち上げるためのものであったようである。


3つ目:アーチ
セゴビアの水道橋の場合、水道あるいは上部構造の荷重をアーチによって受け持ち、これらのアーチが二つ一緒になって、その力を一つの橋脚に垂直に伝達する構造となっている。こうしたアーチを用いた構造物を支えるメカニズムのことをOpus arquatumといい、ローマの建造物の多くにこのメカニズムが取り入れられた。
なおこのアーチを築くために用いられるのが、Cimbraと呼ばれる、支保である。現在のアーチ橋を築く技術では、橋の両端からアーチを釣りながら建設するのであろうが、このセゴビアの水道橋では、途中まで築いた橋脚の上に板をかけ、支保を載せて、そこに石を積んだとみられる。現代のような巨大なアーチを実現することはできない方法だが、確実な方法である。


現代の土木技術があればこの水道橋はいらなかったのであろうが、それに勝るとも劣らない建設技術や工夫をもってこの水道橋は建設されたようだ。そしてまた、人々の誇りになり続けたこの土木構造物が与えた社会的な側面も大きい。

なおこれら二つの疑問の答えの内容については、
SANTIAGO MARTÍNEZ CABALLERO著 EL ACUEDUCTO DE SEGOVIAを参照した。



(参照:http://photozou.jp/photo/show/102832/6594155)

さて、似たようなアーチ状の水路として、日本の琵琶湖疎水の水路閣を思い出した。
こちらも琵琶湖から引いてきた水を、水に悩む京都の南禅寺へと通す今でも現役の水路だ。
しかし、この構造物は明治期になって建設されたもの。ローマの水道橋より二十世紀もあとになってのことだ。

という訳で、土木的観点でいうと、やはり水と都市は切っても切り離せない。
家康も、江戸建設でまず着手した事業の一つが、上水道の整備だ。神田上水や玉川上水はとても有名で、千代田区の小学生は、必ずこのことを勉強することになる。またかつて横浜は、水不足に悩む村であったが、多摩川より水を引いたことで人が住むようになり、また川がなく土砂が海岸に堆積しない土地なので、大型船が航行でき、流通の拠点となり、大変栄え現在に至るといった論考)があるなど、水に関する都市論は非常に面白い。どの時代も水を確保するための土木技術が、社会の発展に密に関係する。

1)竹村公太郎著 日本の謎は「地形」で解けるシリーズ(PHP新書)より











頭を使ったので、ブレイクタイム、

グルメ企画!「今週のマドリメシ







今日はカミノスのカフェテリアのメニューをご紹介。






こちらが毎週水曜限定、スペインの家庭料理「コシード」である。
いわばスペインのボルシチ的な位置づけである。

皿に盛られたひよこ豆やモルシージョ(血を固めて作ったソーセージ)などと、これらのうまみが出たスープに投入していただく。

レストランで食べる本物はお椀ではなく、壺に入ってでてきたりするらしいが、高いので5.2ユーロの学食で我慢。





写真奥、昼からビールも飲んでみた。
マドリードで一番のビールの銘柄、Mahouである。



ちょいちょい学生が午前中からMahouを飲んでいる。
自分もMahouを頼むと、ウエイターから「お前、分かってんな」とほめられた。












雑談はここまでにして、再びこの水道を追いかけてみることにする。








城壁をくぐり旧市街へと入ると、少し曲がったこの角で、追ってきた700mあまりの水道橋は街の地下へと姿を消す。







代わりに、街中を歩いている途中で、こんな形をした金型が現れるようになる。


水道橋がかたどられた金型。実はこれは水路が地下にある位置を示している。



この金型を少したどりながら、セゴビア旧市街の一角を進んでいくとその先に、










Plaza Mayorが現れた。

その先にはカテドラル。天井の高さが際立つこの聖堂も見ごたえ十分である。










セゴビア旧市街をさらに進む。



セゴビアの水道橋から歩いて10分ほどであろうか、セゴビア旧市街の一番奥に鎮座する建物、それが










アルカサルである。

ヨーロッパを代表する中世の城。

中世にこの地方を支配したカスティーリャ王国の城である。



もともとカスティーリャの王であり、のちにアラゴン王国のフェルナンドとともにカトリック両王となり、スペイン統一を果たした、イサベル女王が完成させたという。
これまでローマの水道橋を追いかけてきただけあって、いきなりの中世の城の出現に驚きをその気品を感じた。



実はこのアルカサルは、白雪姫のモデルにもなったと言われている。また、ルパン三世の映画二作目「カリオストロの城」(宮崎駿監督作品)のモデルにもなったとかならなかったとかいう。






ここが城の入り口。よく見ると橋の下に水道の一部らしき直方体の構造物を発見できる。
先の水道は、旧市街を通りながら、このアルカサルに向けて導水されていたというわけだ。


城の壁面にはムデハル建築(第3回参照)の模様が見られ、壮観な印象を付け加える。









これが、正面の塔の頂上からセゴビア旧市街を眺めた風景である。
中央にカテドラルがそびえ、その奥にローマの水道橋があったというわけだ。
その奥には雲で隠れているが、水源である山脈と、その向こうにマドリッドが位置する。
















さて長くなったが、ここがセゴビアの街の舳先、アルカサルの最奥部、王のテラスである。

またの名を井戸のテラスと言う。


なぜか。それは、中央の井戸の下が貯水タンクになっていて、水道の水はここに集められたからである。




すなわち、ここがローマの水道橋の終着点であったというわけだ。








最後にアルカサル城の地下、基礎部分を見学した。
これはローマ時代の城の跡だという。

ここにローマの構造物の遺構が発見されたというのもまた面白い。このアルカサルは、古代ローマに築かれた城の上にまた築かれたというわけだ。








中世のアルカサルの中に再びローマを発見したところで、ローマの水道橋をめぐる探検を終え、レポートとさせていただく。







第二回の舞台(セゴビア)





今回は、ローマの水道橋をベースに、土木っぽい情報を共有させていただきました。
次回はローマ時代に続き、中世を探検するレポートをさせていただきます。




またすぐにレポートします。 ¡Hasta luego!





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